20歳とは
いったい20歳とはなんなんだろう。
こんばんわ。今日はこのテーマに興味を引かれたので「20歳」をテーマにブログを更新します。
私の思い描いていた20歳はもっと大人で素敵な殿方のお相手がいて余裕のあるものだと思っていた。
それがどうだろう、今の自分……とても余裕という言葉が似合わなく、大人になり損ねた思考も行動も学生と対して変わらない。
専門学生ではあるが学校外、社会の中ではもう成人である。いわゆる大人と同等の扱いだ。
それなのにまだ高校卒業後と対して変わらない自分が鏡に写っている。
もしかしたら、知らないうちに大人になっているのかもしれない。だけどそしたら私はそれに気づけてない事になる。
周りは大人になっているのだろうか。そして、そのことに気づいているのだろうか。
いったい20歳とはなんなのだろう。
20歳の自分は周りからどう映っているのだろう。
サヨナラの意味
このタイトルは乃木坂46さんの最新曲、そして橋本奈々未さんの最初で最後のセンター曲と同じである。
私は乃木坂46がデビューした時からのファンであるが、ライブは行きたい時行けるところなら行くぐらい。
まぁそんな話はさておいて、なぜこのタイトルなのか……
それは最近 "サヨナラ" のタイミングによく遭遇するからだ。
先日中学生時代から実家で飼っていたペットと永いお別れをした。そしてそこから1ヶ月もしないうちにアパートで飼っていたペットともお別れがきてしまった。
人や生命あるものにはいつか別れがある。そしてペットは私達人間より寿命が短かったりする。それは百も承知でいつでも悲しみに耐える準備はできているハズなのに
どうしてその瞬間を迎えてしまうと、涙が溢れてしまうのだろう。なぜ、受け止めたくないのだろう。
別れは出逢いの始まりという言葉を聞くが、その出逢いはいつなのだろうか明確でない。またその出逢いを気付かず逃してしまってるのではないだろうか。
私はやはりサヨナラに意味を見出さないでいる。
もし意味があるのだとしたら……それはサヨナラに強くなるため。私達はこの先たくさんの物や人と別れを経験するだろう。その一つ一つを経験してサヨナラに強くなって悲しくて生きるのにも辛くならないように。いつか笑顔でサヨナラができるようにだったらいいのに。
今日も私は地元にサヨナラを告げてきた。やっぱりまだ強くなれないから、笑顔にはなれなかった。
いつか私にもサヨナラの意味が解る時が来ますように。今日も精一杯生きてみます。
期待
期待したいけど期待しないでおく
それはもう期待してしまってるのではないか。期待してダメだった時の逃げ道としてその言葉が使われている気がする。
それなのにその言葉を使ってしまう自分は、どこかで彼の事を信じていたいから期待したいから。
君が、今度こそって言ってくれたから前とは違うんだ、期待できるんだって思ってしまう。何気ない言い回しで私の心はいろんな方向へ行ってしまうんだよ?
やっと忘れそうだったのに。唐突すぎるんだよ。タイミングが悪いって。。。
期待してもいいですか?
不安になるくらい
「好き」という気持ちが大きすぎて不安になる。
最近そう思う事が増えた。
なにに不安を感じるのか。それは今ある「好き」という気持ちが大きくなりすぎて、一気に冷めてしまうのではないかと思ってしまうからだ。
いつか好きではなくなる。それはあるだろう。でも今はまだ君を、「神山智洋」という存在を嫌いになりたくない。「神山智洋」を私の中から無くしてしまえば私はきっと壊れてしまう。なにか心に穴が空いた感覚になってしまうはず。
私は失いたくない。この気持ちを。私に大切な感情をくれてたくさん笑わせて、幸せにしてくれる彼を。君が笑うと泣きそうになるくらい幸せを感じるんだ。それと同時に不安にもなるんだ。君を好きじゃなくなった時のことを思って。そうするとどうしても涙がでてきて胸が締め付けられる。先の事なのに、明日にも「好き」が消えてしまうのじゃないかなんて。
いつからだろう、君が私の中で大きくなっていたのは。こんな風に好きになれるとは思わなかった。君を嫌いになりたくないなんて思えたのは初めてだ。
それくらい「神山智洋」貴方に惚れてしまっているのだろう。
私は今日も自分の中で芽生える不安と闘いながら時には身を寄せながら、貴方を愛しています。